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「何もない」は本当?瀬戸の放課後デイで学ぶ尾張旭の歴史②

南北朝時代に活躍した水野又太郎が開いた新居

 

名鉄瀬戸線尾張旭駅北ロータリーに

馬に乗った銅像が建っていますが、

南北朝時代に活躍した豪族で「水野又太郎良春みずの またたろう よしはる」と呼ばれています。

 

彼の祖は水野郷(瀬戸市)で桓武平氏の子孫

平良兼たいら の よしかねであり、志段味郷(名古屋市守山区)を拠点とした豪族であったと伝えられています。

 

にも拘わらず、

元弘の乱以降南朝方の僧兵として戦ったとされています。

 

それは水野郷には熱田神宮の社領があった関係で、

承久の乱以降尊王派となっていたと推察されています。

 

建武の新政が始まると、一時郷里の志段味に帰りましたが、

再び吉野に戻り南朝方の兵士として転戦したようです。

 

その後再び志段味に帰り、隠居後新居村を開墾しました。

 

その後、定光寺から弟の僧を招聘し「退養寺」を開山。

 

応安7年(1374)に新居城を築き一族の居城とし、

同年に没し退養寺に葬られました。

 

お墓は退養寺の北側に宝篋印塔ほうきょういんとうと五輪塚として現在に至っています。

棒の手の流派「無二流」の起源

号が「無二むに」であったため、

彼が吉野から持ち込んだとされる棒の手の流派は「無二流」と称され、

現在まで伝統芸能として伝えられています。

 

その後の水野一族は、

隣村の尾関氏との争いを制し近隣一帯を支配する豪族として、

名を馳せたようであります。

 

その子孫に後に登場する毛受勝介家照めんじょう しょうすけ いえてるもいます。

 

700年の歴史があるものの新居とは、

矢田川沿いの地域は1300年以上の歴史があるから当然のことでしょう。

 

城山公園として受け継がれる歴史

また現在は城のあった山から「城山」と称して、

公園都市尾張旭を代表する城山公園として整備されています。

 

又太郎の意思を受け継ぎ平和で健康的な都市として発展していることを

彼も喜んでいることであろうと推察されます。

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