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「何もない」は本当?瀬戸の放課後デイで学ぶ尾張旭の歴史①

「尾張旭には何もないって!」本当かな?

東春日井郡旭町が昭和45年12月に尾張旭市になりました。

 

昭和40年代初頭から名古屋市近郊の街として急速に人口が増え

3万人を突破して、市政に転じたのです。

 

そのことによって東春日井郡がなくなったのですが、

住民のアンケート結果で「尾張旭市」が誕生したわけです。

 

千葉県に「旭市」があったため、

「尾張旭市」になったのですが、

「あさひ市」という発想は当時ありませんでした。

 

「尾張旭」は尾張がついているから

愛知県にあることが分かっていいね

と言われることがありますが、確かにですね。

 

現在8万人を超え魅力的な市として微増ではありますが、発展し続けています。

 

前置きが長くなりましたが、
人口増=他地域からの人口流入となります。

 

そのため、

尾張旭の歴史や伝統文化につて広く知られないという現実もあるのです。

 

学校教育を含め、教育全般の問題ですが、

なぜ「尾張旭には何もない」といフレーズが出てくるのでしょうか?

 

仮に尾張旭市出身の若者が海外で活躍することになったとします、

そこで「あなたの出身地について」と質問されたら

「尾張旭には何もない」と答えるのでしょう。

 

よく考えてみるとこんな悲しい話はありませんね。

 

1300年の歴史が語る、尾張旭の誇り

1300年前に編纂された日本書記に

 

「天武5年(676年)山田郡が新嘗祭にいなめさいの開催地に決められた。」

と記されています。

 

この山田郡こそ、尾張旭市印場元町にある渋川神社であり、

祭礼後の直来の儀が行われたが

直来神社になって現在まで脈々と存続しています。

 

1300年もの前のことが現在にまで残っているものは沢山あり、

多くは観光資源として世に知られています。

 

しかしながら尾張旭の史実は市民にすら知らないことになっています。

 

新嘗祭にいなめさいの開催地となったこの地だからこそ、

大変名誉なことと捉えたご子孫の方々が名乗られる、

斎場(さいば)姓は全国に尾張旭市にしかありません。

 

尾張旭の知られざる歴史と文化資源

② 南北朝時代に活躍した水野又太郎が開いた新居
③ 柴田勝家の家臣で賤ケ岳しずがたけの戦いで勝家の身代わりになって討ち死にした
④ 江戸時代に尾張藩の藩祖徳川義直のお墓までの参詣道として整備された「殿様街道」
⑤ 刀狩りとは相矛盾する「棒の手」とそれを組織する5流派
⑥ 「平子御林」「えびづる御林」での鷹狩
⑦ 日本で最初に整備された「森林公園」の生みの親「高瀬五助」

 

その森林公園で令和元年に全国植樹祭が開催されました。

 

次回から順次②~⑦を紹介していきます。

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