瀬戸の川柳に込められた、陶器づくりの知恵と苦労
昔の瀬戸を象徴する川柳の紹介です。
「瀬戸を殺すに刃物はいらぬ、雨の10日も降ればいい」
陶磁器の生産工程には「生地の乾燥」が大切です。
しっかり乾燥させないまま焼成したのでは、製品になりません。
そこで上記のような川柳が生まれたのでしょう。
昭和40年代頃までには、
町工場の前にも乾燥棚があり、多くの生地が並べてあり、
乾燥させているところを目にすることがありました。
確かに10日も雨が降り続いたら大変だったろうなと想像できます。
仕事にあふれた陶都・瀬戸と、支えた人々の暮らし
「食い詰めたら瀬戸に出稼ぎに行けばいい」
これも1300年続いた産業であっただけに、
仕事がなくなって瀬戸に出稼ぎに来ていた人が
そのまま瀬戸に住み着いたという話もよく聞いたものです。
今では想像もつきませんが、
瀬戸では仕事がなくなるということが無かったのです。
働く人々のために、
「飲食店」「歓楽街」「映画館」がたくさんあったのは記憶に新しいところでしょう。
今でもその名残で味自慢の「鰻屋」が多いのも、
汗をたくさんかく窯焼き(陶磁器職人)にとって大切なスタミナ源だったのでしょう。
また、「ごも」と呼ばれた五目飯も瀬戸を代表する食事の一つです。
窯焼き(陶磁器職人)にとって、
仕事中に簡単に済ませられる食事のメニューだったことも想像できますね。
愛知県5番目の市・瀬戸の誇りある歩み
瀬戸が愛知県で5番目の市になったのも当然だったのです。
名古屋・豊橋・岡崎・一宮・瀬戸の順です