陶器=瀬戸物はなぜ?
関西以東の日本各所で
「陶磁器」製品を見せながら「これは何ですか?」と問えば
ほとんどの人が「瀬戸物」と答えるのではないでしょうか?
ではなぜ、
陶磁器のことを「瀬戸物」と呼ぶようになったのでしょうか?
意外と知られていないことで、
その理由を答えることができる瀬戸人が少ないのです。
30代の時にある高名な学者に
「陶器の事をなぜ瀬戸物と言うようになったのか説明してもらえないか?」
と問われました。
「知り合いの瀬戸の人々に聴いても、
納得できる答えが返ってこなかったのだがどうしてなのか?」
と畳みかけられました。
陶器が瀬戸物と言われるようになった理由
簡単に言えば瀬戸は陶都で
「陶器」造りは1300年の歴史があり、
日本で最初の産業だったのです。
釉薬がかかった上等な陶器を生産する「瀬戸焼」が、
いつしか「陶器を指す瀬戸物」になったのも至極当然であったのでしょう。
日本各地に出向き陶器の行商をする人々が
「瀬戸物」はいらんかね?
と売り歩いたのではないでしょうか?
朝鮮半島から伝わった「磁器」の産地として有名な「唐津焼」がありますが、
多くの日本人は磁器の事を「唐津物」とは言いません。
「名称の流布」には「売り手の宣伝文句」が大切なのは今にも通じる話ですね。
余談ですが、
瀬戸には陶磁器に関わるお祭りが2つあります。
4月の陶祖(加藤陶四郎)を称える陶祖祭
9月の磁祖(加藤民吉)を称える瀬戸物祭
瀬戸物祭りが全国的に有名ですが、
九州地域で造られた磁器の普及に伴い
瀬戸焼が廃れることを心配した尾張藩の奉行
「津金文左衛門」らが加藤民吉に磁器造りの技術を身に着けさせるため、
肥前藩の天草に派遣し、瀬戸焼の復興を託したのです。
瀬戸 × 天草の交流がひらく、陶磁器産業の未来
民吉の生誕250年を記念して、
2021年に瀬戸市と天草市の交流連携協定が結ばれました。
これを機に日本の陶磁器産業が新しい時代を迎え、
伝統文化の伝承が広く知られるようになることを願っています。